日曜日
📖 マタイ28:1–15;マルコ16:1–8;ルカ24:1–49;ヨハネ20:1–24
朝早く、女たちは墓へ向かいました。手にしていたのは香料であり、希望ではありませんでした。しかし着いてみると、石はすでに転がされていました。御使いは言いました。「ここにはおられません。よみがえられたのです。」その日、すべてが変わりました。悲しみは喜びに、恐れは勇気に変わりました。イエスの復活は、単なる象徴や霊的高揚ではなく、人類の現実を永遠に変えた歴史的事実です。主は生きておられます—そして主が生きておられるからこそ、私たちの希望は決して打ち砕かれません。
イエスはマリアに現れ、次に恐れて隠れていた弟子たちにご自身を現されました。彼らは鍵をかけた部屋に集まっていました—大きな信仰ではなく、かすかな、消えかけた信仰の火を携えて。まるで消えそうな炭火のように、彼らはただ一緒にいて、何が起きるのかも分からないまま待っていました。そしてまさにその場所に、主は現れました。逃げたことも、疑ったことも責めることなく、手と脇腹を示して、「あなたがたに平安があるように」と言われました。その平安は状況の安定から来たのではなく、贖い主が勝利されたことによって与えられたものです。死はイエスを閉じ込めることができず、罪の力は砕かれ、永遠のいのちへの道が開かれました。それは私たちの力ではなく、主が最後まで贖いの業を成し遂げられたからです。弱さの中での交わりにおいて、神はご自身の民の信仰の炎を再び燃え立たせられました。
今日という日は、単なる記念ではありません。それは、生ける勝利を祝う日です。イエスの復活は私たちの信仰の土台であり、力の源であり、すべての約束が真実であるという保証です。私たちはもはや墓の影に生きているのではなく、復活の光の中を歩んでいます。だからこそ、深い喜びと揺るがぬ信仰をもって生きましょう。キリストはよみがえられた—まことによみがえられたのです。ハレルヤ!