日曜日(棕櫚の日曜日)
📖 マタイ21:1–11,17;マルコ11:1–11;ルカ19:29–44;ヨハネ12:12–50
イエスは王としてエルサレムに入られました。しかし、人々が期待していたような王ではありません。戦いの馬ではなく、ろばに乗ってこられました。世の栄光を拒み、へりくだりの道を選ばれたのです。群衆は歓声を上げ、衣を道に敷きましたが、彼らは迎えている方が誰であるかを本当に理解していませんでした。彼らはイエスが民族を解放するために来られたと思っていましたが、イエスは民の罪の重荷を取り除くために来られたのです。
イエスは都を見て涙を流されました。人々が神ご自身の訪れを拒んでいることをご存知だったからです。真の礼拝の中心となるべき壮麗な神殿の前に、かたくなな心が立っていました。平和の君がそのただ中におられるのに、それを悟っていませんでした。弟子たちでさえ、その使命の全貌をまだ理解していなかったのです。しかし、すべては神のご計画どおりに進んでいました。イエスは人々に高められるためではなく、十字架の上に上げられるために来られたのです。
今日、私たちはこう思い起こすよう招かれています。真の信仰とは、一時的な感情や群衆の熱気から生まれるものではなく、みことばと恵みによって形づくられた心から生まれるのだと。イエスこそ、心からすべてをゆだねるにふさわしい王です。枝を振るだけでなく、自分の全生涯を差し出しましょう。神と人との間に真の平和をもたらすただ一人の王、それがイエス・キリストです。