土曜日
📖 マタイ27:62–66
イエスは死なれました。御体はアリマタヤのヨセフの新しい墓に納められました。祭司長たちとパリサイ人たちはピラトのもとに行き、墓を守るように願い出ました。彼らはイエスが復活を語っていたことを思い出してはいましたが、信じてはいませんでした。そこで墓は封印され、兵士たちが配置されました—まるで石と兵によって神の力を封じ込めることができるかのように。しかし彼らは忘れていました。彼らが相手にしていたのはただの教師ではなく、死に打ち勝つ権威をすでに現された方であり、死が永遠に彼をとどめておくことはできないのです。
その土曜日は静寂に包まれた日でした。弟子たちにとって、それは悲しみと不安に満ちた時でした。聞いていた約束は遠く思え、慕っていた主は死んでおられました。しかしまさにその静けさの中で、神のご計画は確かに進んでいました。注目もなく、群衆もなく、音もなく。ただ沈黙の中で、勝利の準備が進められていたのです。人の目には見えなくても、神は決して働きを止められません。
今日、私たちは天が沈黙しているように思える時にも信頼することを学びます。祈りがまだ応えられていないとき、希望が埋もれているように感じるとき、すべてが静まり返っているように思えるとき—神は今も働いておられます。墓は物語の終わりではありません。沈黙は敗北の印ではありません。その静けさの中で、復活の約束はその時を待っているのです。だからこそ、私たちは希望を抱き続け、目を覚まし続け、信頼し続けるように招かれているのです。神はご自身のご計画を決して手放されません。